廃棄コンテナ

産廃としての生き方と呪詛

好きな人の好きな人という地位

好きな人、めちゃめちゃ好きで仕方ない。

好きな人の事を考えるのが楽しくて仕方ない。

 

関係に名前がなくても、その人を好きでいることが私のすべてなのだ。

 

 

かつて、靴屋さん推しに会いに行く明るいストーカー業を営んでいた。

今でも彼のことは大好きだ。

彼を推し続けている自分の事と大好きだ。

例え彼が私を忘れていても、私が彼を好きでいればそれでいい。

 

 

しかし、好きでいると言うことは時に己を殺すことになる。

 

喉がしまって息苦しくて、心臓が裏返りそうになって、脳ミソが煮えて、目の前がチカチカして。

思考は転がるわ、心は貧しいわ、もうどうしようもない。

それほどまで、追い詰められるのだ。

 

まともな精神であれば、まともな生き方をしていれば、ここまで人に生死を左右されるようなことはないのだろうけれど、こちとら脳ミソ焼かれてるんでね。

ダイナミック躁とエキセントリック鬱だよ。

 

 

近頃は、宇宙人の彼と上手くやっているように錯覚している。

好きでいることが辛くないのだ。

やっと、彼の顔を見て怖がらずに話ができるようになった。

彼なりの私への思いや接し方も、汲み取れるようになってきた。

全然辛くない。

 

しかし、この関係が呆気なく、ただの指先で終わってしまうであろうことが、辛く怖いのだ。

 

惚れたもん負け、それが全てだ。

 

 

蔑ろにされても、都合よく遣われても、私は私でなければならない。

そうすれば、終わりがしっとりと私を迎えに来てくれる。

 

最高の終わりのために